STORY商品ストーリー
1995年 阪神淡路大震災の年に仕込んだ、熟成「純米大吟醸」
1995年1月17日、阪神淡路大震災の日。1月は、ちょうど大吟醸を仕込む季節。その時も大吟醸の仕込みを行っていた。
「その日は泊りの勤務で、夜寝ていて、朝、突然ドンという感じ。」と、その日、夜勤だった前野 哲也さんは当時を振り返る。
震源から離れていることもあり、蔵自体の損害は少なかったが、神戸付近に在住している社員や、親族がいる社員もいた。さらに関西地区の経済は停滞し、その影響は大きかった。
「すべてが変わった年。得意先も被災され、商売を継続できない方もいらっしゃった。街も壊れ停滞。私たちにとっても衝撃的な年でした。」と、社長の稲岡敬之さん。その時仕込んでいた純米大吟醸にも強い思い入れがある。
当時仕込んでいた純米大吟醸への強い想いを語る、富久錦株式会社 代表取締役社長 稲岡敬之さん。
酒造りが好きで酒蔵を継いだ稲岡社長は製造責任者も兼任している。
純米大吟醸は技と心を込めたお酒
純米大吟醸用の麹。
「純粋なお酒」のため、醸造アルコールを使用しない純米酒にこだわる。
吟醸酒特有のフルーティな香り、「吟醸香」と呼ばれる香気成分を引き出す目的で、醸造アルコールを添加することもあるが、富久錦は、1987年から醸造アルコールを添加しない「純米大吟醸」の醸造を開始した。
「より純粋でありたいという気持ちを込めて純米大吟醸しか造っていない。純米大吟醸は富久錦のフラッグシップであり、技と心を込めたお酒です。」(稲岡社長)
純米大吟醸を最適環境で熟成させる
「蔵の一番いいお酒を、熟成させ、その変化を楽しむ。」という考えで、純米大吟醸の熟成貯蔵を行っている。
1995年、震災の時にタンクにあった純米大吟醸も、特別なものとして残していた。
1995年の熟成純米大吟醸について稲岡社長に聞いた。
「1995は新酒の時からいいお酒でした。その時のまま、大吟醸に適した低温、0~4℃で長期熟成させています。熟していくというより、角が取れて丸みが出てくるという熟成の仕方。バランスのとれた綺麗なお酒になっています。」
写真右:仕込みの樽。手作りで、技と心を込めて醸造を行う。
1995年の記憶を刻んだ純米大吟醸が30年の眠りから目覚める
30年の熟成を経て「酒輪」にて販売される1995年の純米大吟醸。
パッケージもリニューアルする。
2025年で30年の熟成となり、酒としての価値が高く、さらに1995年という、日本人、そして世界にも記憶に刻まれた特別な年に醸造された純米大吟醸。30年の熟成となるタイミングで、和魂プロジェクト「酒輪」を通じて販売をすることが決定した。
「その時のお酒は、何かちょっと違った気持ちが心の中にありますね。大変なことで、悲しい出来事だったんですけど、その時のことを思い出して、みんなで笑いながらお酒を飲んでいただけたらいいと思います。」(前野さん)
「30年を目前にして、一番お酒がおいしく出来上がったタイミングで、パッケージをリニューアルして皆さんに飲んでいただこうということになりました。
残っていると言っても本当にわずかな量。この貴重なお酒をぜひ飲んでいただきたい。」(稲岡社長)
造り手の技と心を込めて仕込み、1995年の記憶を刻んだ純米大吟醸が、いよいよ30年の眠りから目覚める。
復興を果たし、将来への無限の道を表現したパッケージ
1839年創業。
播磨平野の中央部に位置する兵庫県加西市で、「純粋なお酒」を目指し、地元の米と地元の水で、地元の人たちに愛される酒造りを行っている。
〒675-2223 兵庫県加西市三口町1048